村田渚が亡くなった


午前半休を取ってM-1のチケットを取ってから悠々と会社に向かう昼の12時、携帯にすずきさんからのメールが入った。動転しつつコールバックした。したところで詳しいことがわかる訳も無いのに。それから携帯で2chを見た。呆然とした。


九月にシアターDで鼻エンジンを見たときに「伸びしろが感じられない」と書いたのは確かにそうで、でもって11/5(たった一週間前じゃないか…)のM-1グランプリ・2回戦でやっていたネタが去年からある「子どもの頃の遊び」だったから大丈夫かなあなんて思ったのも事実。でもその一方で、松丘がリストバンドを付けたり外したりする、いわば前フリの段階でクスクスと笑いが起きるのを見て「おお、浸透してきてるなあ」と嬉しく思ったのも本当だ。


ボキャ天の頃、一番好きだったのがフォークダンスDE成子坂だった。と言ってもライブに足を運んだりはしなかったし、ただボキャ天やその他のTVを見ていただけ。それでも(何の番組か忘れたが)テレビで見たTAXIのショートコントは未だに頭にこびりついている。


ライブに足を運んだことは無いと書いたが、成子坂が横浜のランドマークタワーに来たことがあって、それは見に行った。成子坂を生で見たのはそれが最初で最後だと思う。それがいつだったのか、どんなことをしたのか、さっぱり思い出せないんだけど、とにかく大笑いして帰った覚えがある。(検索してみたら出てきた、これか?二回まわしだったみたいだが当然どっちを見たかは覚えていない。ただマッサージネタは言われてみれば見たような気がする)


ボキャ天が終わって、多くの人と同じように僕のお笑いに対しての熱は冷め(そういう意味では、ランドマークタワーで見た頃というのはもう冷めている頃かもしれない。でもたまたま来ることを知って近所だし行ってみるか、というノリだったんだろう)、恐らく成子坂の解散もリアルタイムでは知ることなく、数年後にネットでたまたま見て「へえ、解散したんだ」と何の感慨もなく受け取ったんじゃないだろうか。


その後、またも僕はブームに乗っかり、今度はライブを見に行くようになり、ラママの新人コント大会で村田渚のピンネタを見た。テレビで見たことがあるネタだったが、変わらず面白かった。でも一抹の寂しさも感じた。一人なんだなあと。ホリプロライブで見たときも同じように思った。


2005年、ホリプロコムを辞めて坂道コロコロの松丘と「鼻エンジン」なるコンビを組んで、そして結成一年目にしてM-1にチャレンジすると知った。そのことを聞いたときには「元々コントメインの二人なのに、漫才で勝負するなんて…」と思った。一年待ってもいいんじゃないか、と余計なことも考えた。(今にして思えば、M-1は結成からの年数で制限はあるものの出場回数に制限は無いんだから、一年見送る必要なんて全く無い。本当に見当はずれな心配だったと思う。)


どうにも気になるものだから1回戦を見に行くことにした。まさか自分がM-1の予選を1回戦から見に行くとは、その前の年に初めて3回戦を見に行ったときには夢にも思わなかったはずだ(ついでに言えばそれが初ルミネだったりする)。がらんとした会場で、ネタをこなすのに一生懸命なアマチュアの人たちを見続け、その日はカリカの単独があってそっちの時間も気にしながら、鼻エンジンの出番を待った。結局「この時間に出ないとカリカに間に合わない」という時間を少し過ぎた頃に鼻エンジンが出てきた。その日初めて見た2人の漫才は、結果的にカリカの単独ライブに遅刻したことを後悔させないものだった。「ジャスワナ!」でドカンとウケたのはよく覚えている。うさぎもちのネタもあったし、リストバンドの下りもあったはずだ。そして、明らかに緊張しているのがわかったけど、人にツッコミを入れる渚を見てとても嬉しくなった。


3回戦は1回戦よりも更に輪をかけた緊張っぷりで噛み倒す渚を見て、正直「落ちたか…」と思った。でも結果は合格だった。はてなキーワードリンクの数も多くなってきて嬉しかった(そういえば「鼻エンジン」のキーワードを作ったのは自分だった)。そして準決勝は見れなかったものの、敗者復活戦の大会場で「ジャスワナ!」が鉄板であることを確認して、ニヤニヤした。来年が楽しみだと思った。


その後、スケジュールはそれなりにチェックしていたものの、結局その次に見たのは冒頭に書いた今年9月のシアターDである。SMAのトライアウトライブに一度も行かなかったことが悔やまれる。そして先週のM-1予選2回戦。それが最後。だなんて、まだ信じられないんだけど。


去年の年末、ますおかのライブに桶田が裏方で参加すると知って、一度は見に行こうとチケットを取ったものの、結局他のライブを見に行くことにしてしまい、そのライブは見に行かなかった。でも少しずつ桶田がお笑いの世界に戻ってきているということはやはり嬉しいことで、いつかは成子坂再結成もあるんじゃないかと思っていた。鼻エンジンが漫才しかやらなかった(はず、違ったらごめん)ことも、もしかしたらコントは成子坂の再結成まで封印しておくためだったんじゃないだろうか。2ch発の「芸人にまつわるちょっといい話」に多数存在するエピソードを読んでいたら、そんなことを思ってもいいような気がしたし、実際僕は何となくぼんやりと待っていた。でもそれも、もう叶わない。というのも、まだ信じられない。


たぶんこれが僕にとっての村田渚の全てで、リアルタイムで成子坂をきちんと見てきた人と比べれば非常にちっぽけなもんだと思う。鼻エンジンも足しげく見たわけではないし、一番好きな漫才師かというと決してそうではない。それでもこの訃報は物凄くショックで、こんな文章を書いてしまうほどの出来事で、確実に言えるのはボキャ天のときは成子坂が一番好きだったということ。


今なら言える。「パンダアンタ、あの頃 No.1」と。


ご冥福をお祈りします。